“後援会設立”大同窓会に送られたメッセージ

「15+6の恵み、そして恵みの連鎖へ」

めぐみ幼児園後援会 会長 梅原瑞江

私にとってめぐみ幼児園は、子どもの時から通っている教会の幼児園ということで、常に身近な存在でした。とくに幼児教育者を目指してからは、学校が休みのたびに訪れていました。

めぐみの教師としての15年は、私自身を育ててもらった時だったように思います。子どもたちとの毎日はとても楽しいものでしたが、それと同時に自分の至らなさ、未熟さをつきつけられていく日々でもありました。

いま振り返っても、よくこんな足りない者を、子どもたちは先生として、受け入れてくれたものだと思います。そんなみんなの無償の愛に支えられていたなあと、胸が熱くなります。ありがとうございました。

そして、その後にめぐみ幼児園園児の母としての6年間が続きます。子どもとの日々を楽しみながら、時として親としてこれでいいのかと悩みながら、充実した時を過ごす事が出来ました。落ち込んだ時も、私はだめだけれど、この子はめぐみの先生が愛し受け入れてくれているからだいじょうぶと、思ったものです。

そのようなめぐみ幼児園との合計21年の日々は、私にとってかけがえのないものです。このような大きな恵みを与えて下さった神様に、心から感謝しています。

いま世の中は、色々な意味で複雑になり、難しい問題を抱えています。本当に大切なものを、見失いがちになっているように思えます。だからこそ、子ども達ひとりひとりを主にあって大切にしている、めぐみ幼児園の働きが、ますます重要になっています。

私のように、めぐみ幼児園に出会って良かったと思う子どもたちや、お父さん・お母さんたちが、これからも増え続けて行きますようにと、願っています。

そしてそのために、小さな者ですが仕えていけたらと思います。しかし、近ごろの新入園児の減少によって、めぐみ幼児園の経営も難しい局面を迎えています。めぐみ幼児園を支えるために、たとえ具体的な事が出来なくても、思って下さるだけでもいいのです。思い=祈りに、神様は必ずこたえて下さるお方ですから。

「めぐみ幼児園 開園のころ」

日本ホーリネス教団 横須賀教会 牧師 竹入悦男

東希望が丘にお住まいだった石橋様宅で守られていた集会を担当するために1961(昭和36)年5月に赴任しました。大学の神学部・大学院に通いつつ伝道師として働き、ここ希望が丘の地に教会をと祈り願っていました。幸いにも当時山林だったこの地が導かれ購入することができました。フォレスター宣教師を中心にしてまず整地から始まり、レンガを積んだり壁を貼ったり、会員たちみんなの手で会堂建築に励みました。約3年後の1964(昭和39)年3月にまだ未完成でしたが「献堂式」をし、この地での教会活動が始まりました。

そのうち、教会活動の一つとして、幼児教育を始めようということになりました。敷地面積などのことから幼稚園としての公認は無理を承知で、名称も「めぐみ幼児園」として始めることにしました。保育室の増設、用具の準備、園児募集その他、暗中模索しながらのスタートでした。夢中でした。

1968(昭和43)年4月9日(火)午前10時「めぐみ幼児園開園及び入園礼拝」が小島吉恵先生の司会、坂内幸子先生の奏楽で開かれ、年長組・4名、年中組・18名、年少組・5名の合計27名の園児と共にスタートしました。主任の竹入壽美代先生と小島、坂内両先生が心を込めて保育に当たってくださいました。小さな幼児園のたどたどしいながら一所懸命の歩みでした。

赴任して10年を機に、1971(昭和46)年に希望が丘教会を辞任するまでの3年間の幼児園の歩みを懐かしく思い出します。

その「めぐみ幼児園」が41年の歴史を刻んでこられたのは驚きであり喜びです。まさしく神様の「めぐみ」であり、その後の希望が丘教会、めぐみ幼児園の皆さんの祈りと努力の賜物です。


日本ホーリネス教団 横須賀教会 牧師婦人 竹入壽美代

希望が丘教会とめぐみ幼児園の始まりは、まず、伝道に最適と信じた希望が丘駅左手の丘の上の<林>です。当時の私は世間知らずの若い幼稚園教師でした。あるのは若さとイエス様の聖言「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っていたではないか」の「もし信じるなら」だけでした。「あの林の200坪を教会と幼児園に...」という無謀にも思えるような信仰を持って、地主さんの玄関先に立ちました。 出てきた奥さんに「林の中の土地を売って下さい。キリスト教の教会と幼稚園を建てたいのです。」と言ったところ、「あんたは土地を何だと思っているの。土地は先祖伝来の不動産だよ。米や味噌や反物とは違うんだよ。世間知らずか、気が狂っているの?」と一瞥でした。でもこのままでは引き下がれません。「気なんか狂っていません」そしたら奥さんは「男の人を連れてきなさい」と言いました。私はなるほど世の中はこうなっているのか、そこでおいとまし、当時の宣教師のフォレスター先生と竹入に地主さんと会ってもらうことにしました。売るのを渋った地主さんでしたが、神様はそのとっつきにある200坪の林の土地は主の聖言と幼児らの喜々として楽しく生活できる場として用意してくださったのでしょう。

昭和43年4月「めぐみ幼児園」として歩み出しました。始めは1年、2年、3年保育の児童27名でした。私の保育材料の全てを提供しました。でも何と言っても保育に携わったお2人の先生方(小島吉恵[現、田中]、坂内幸子[現、小坂])の情熱と信仰のすばらしさ!子どもたちに注いだこまかい愛情に感謝します。そのスナップ写真が手元にあり、懐かしさでいっぱいです。41年間のめぐみ幼児園の歩みの初めはこのようなものでした。お2人の先生方、今もそれぞれよきご奉仕の生活をなさっていらっしゃることが今回わかりました。心から「有難う」と申し上げます。

「めぐみ幼児園卒業生の皆様」

丸森歯科医院長 丸森英史

創立40周年おめでとうございます。

父、賢二と共にめぐみ幼児園とご縁が出来て37年になります。めぐみ幼児園とともに歩んできたと、感慨深いものがあります。まだ木造の園舎で歯のいろいろなお話をした事を思い出します。先代の瀬底正義先生、ノリ子先生の優しい、しかも深いまなざしも昨日の事の様に思い出します。

めぐみ幼児園を卒園されて、皆様にもいろいろな道のりがあったと思います。歯科医療もいろいろな進歩がありました。その中でも今回お伝えしたい事は、食生活が歯の健康にも大事だという事です。甘いものは食べ過ぎれば当然むし歯になりやすくなりますが、同じ事が歯周病の予防にも大事な事が分かってきました。

食べ物は全ての健康の源になるのです。特別なものを食べるのではなく、バランスよく、食べ過ぎず、良く咬んでたべる事が大事なのです。しっかり咬む事で栄養が十分に体に取り込まれることはもちろん、精神的にもバランスのとれた体が維持できるのです。

めぐみ幼児園での関わりで最もかわった事は、歯のカリキュラムと、食のカリキュラムを一緒に行う様になったことです。食と歯の健康が深い関わりを持っている事が分かってきたからです。

今でも変わらない事、それは歯磨きの大切さです。むし歯や歯肉炎、歯周病の予防や治療にはブラッシングで歯の周囲をきれいにする事が最も大事で基本的な事なのです。こんなに医学が進歩しても、いろいろな歯磨き材が売られていても、歯ブラシを上手に使う事が基本なのです。

歯を赤く染めては、歯ブラシできれいに磨く事を何度も練習した事は、皆さんの記憶に深く残っている事と思います。それを大事にして、これからも元気で健康な歯で過ごされる事を願っております。

「食カリをはじめて18年」

「健康の日」楽しい食事のカリキュラム担当 管理栄養士 鈴木和子

皆さんお元気ですか。食カリのこと覚えていますか?

食カリは1992年からはじめましたからもう18年になります。そのころ在園していた方々は22歳前後ですね。大人になられて、もし、街でお会いしてもわからないでしょう。

こうして文章を書き始めると、その頃の皆さんの顔が次々浮かんできます。「この次のお楽しみは何?」とカリキュラムを楽しみにしてくれたTちゃん、「カリキュラムのときは食べられなかったけれど、おうちできゅうり食べる練習してきたの」と報告にきてくれたRちゃんのことなどたくさんの言葉と共に思い出されます。

食カリは健康教育に情熱をそそいでいらした故丸森賢二先生からの「やってみませんか」の一言から出発しました。そのとき丸森先生は「食育は必ず必要なときがくる」と言われました。その通りになりました。2005年に食育基本法ができて、いまは食育に関心が向いていますが、めぐみはそれより13年も前から行っていました。

先生と食カリ委員のお母さんとの連携が原動力幼稚園時代は味覚形成にとって大切なときです。夏野菜 みどりの野菜、魚丸ごとなど一つでも多くの新しい味に出会えるよう食べることをカリキュラムの中心にしました。食カリ委員のお母さん方の食事作りと先生方の「○○ちゃんこんなに食べられるようになりましたよ」の報告が私の何よりの励みになりました。

ちから からだ ちょうしのげんき号で選んで食べる大人になるのが到達目標で幼稚園時代はその基礎作りと捉えています。ほんとうの食カリの成果は卒園生の日常の食生活にかかっています。

「卒園生の皆様へ」

めぐみ幼児園 前副園長 瀬底ノリ子

つめたい風の中にも木々の芽、花のつぼみが少しずつふくらむのを感じます。
それを見るたびに子ども達と歌ったさんびかをおもいます。

    こんな小さなつぼみの中に
    お花たたんで入れてあるの、
    誰がたたむのお花たたむの、
    春のお仕度誰がするの

可愛い幼児園の子ども達は皆、すばらしい可能性をもったつぼみたちでした。卒園して五年、十年・・・三十年。卒園生の皆様に久しぶりにお会いすると、あの小さなつぼみの中にこんなお花がたたんで入れられていたの!と感動で胸がいっぱいになります。

神様からいただいた力が、生命が大きくふくらんで成長している姿に出会う時、ひとりひとりの手のぬくもりや、抱っこした時の重みや、庭のすみで交わした会話などが思い起こされ、「神様はみんなのこと、ひとりひとりを愛して下さっているのね」と、も一度一緒に確認したくなります。大きくなった皆さんに頭をなでたりハグしたりできないけれど、一人一人を大好きだという気持ちはかわりません。

「大切だと思うことを真剣に伝えれば子どもは必ずわかってくれる。」これは瀬底正義園長の口ぐせでした。だから心をこめて、真剣に神様の愛を伝えよう。めぐみ幼児園の子どもたちはその思いで語られた聖書のお話しを日々お陽さまの光をあびるように聞いて育ちました。毎日、おいのりをして、さんびかを歌って育ちました。「神さまは、あなたのことを目の瞳のように愛している。」何よりも一番伝えたかったのはその事です。どうぞ、神さまのこと忘れないで下さい。

私は今、半原の山の中に住んでいて皆さんから離れていますが、卒園生の一人一人、お母様、お父様方のことを思いつつお祈りしています。どうぞお元気でいて下さい。どんな時も、神様のお守りを信じて歩みましょう。

「めぐみ幼児園・後援会発足によせて」

希望が丘教会 牧師 めぐみ幼児園理事長 松矢龍造

希望が丘教会が創立されて50年になろうとしています。その創立後まもなく、キリスト教の精神に基づく幼児教育をもって地域に仕えるべく、めぐみ幼児園が創設されました。40年以上の保育の中で900名以上の子供たちが卒園して行きました。

めぐみ幼児園の精神は、聖書に基づいて、一人ひとりが神によって愛されていることを知り、一人ひとりの個性が大切にされ、主イエス様の恵みによって親子で養われながら、明るく元気で伸びのびと成長することです。さらにハンディーをもった子供たちと共に過ごす中で、いたわりあい助け合うことが自然に身についています。

そして、お母さんたち同志の交わりと絆が深くなり卒園して20年たっても交流が続いているグループもあります。また、希望が丘教会の教会学校やガール、ボーイ・スカウトに繋がって活躍している子供たちも多いです。

子供達を送り出す社会や世界は決して良い環境ばかりではありません。しかし、身についている聖書と祈り、また愛ある交わりの中で、希望を見出し、また試練を成長の機会としていることでしょう。

卒園児とご家族の上に、主イエス様の祝福が満ち溢れますようにお祈りしています。

最後に、聖書に基づいて幼児教育がなされている、めぐみ幼児園を祈りつつ後援していただければ幸いです。

キリストの恵みと平和

「めぐみ幼児園で育った皆様へ」

希望が丘教会附属めぐみ幼児園 園長 田名網仁

めぐみ幼児園を卒園された皆様こんにちは。めぐみ幼児園が設立されたのは1968年4月のことですから今年で創立42年を迎えました。その間、多くの保護者の方に支えられ、希望が丘教会の皆さんに支えられ、地元の皆さんに支えられてまいりました。

幼児期に手(愛)をかけて育てるという設立当初からの基本理念は、今もめぐみ幼児園がもっとも大切にしているものです。40年前と今とでは、子ども達を取り巻く環境は変わりました。環境や時代は変わりますが、子どもという存在は変わりません。愛の中で育てられれば愛を蓄積します。基本的人格が形成されるといわれる幼児期は非常に短いものです。私が思うに、子ども達は種のような存在です。どのような場所に育つかによって、その後の人生が決まります。

めぐみ幼児園は、子ども達にとって、温かく柔らかい土地であり続けたいと願っています。種がこの土地で充分に栄養を蓄えて芽を出してほしいと思っているのです。日当たりに気をつけて、土が乾かないように水をあげ続ける、そのことを保護者の方々と共に行ってまいりました。土の中の種の状態は見えないものです。「本当に育っているのかな?」と思う時もありますが、大丈夫です。農家の人たちがこんなに気を配って、愛を注いで育てているのですから、立派に育たないはずがありません。愛されて成長した種は、温かい柔らかい土を知っています。ですから、自分が大人になった時に温かい柔らかい土を用意できるようになるのです。

めぐみ幼児園がこのような場所であり続けるためにも、是非、皆様に祈り・支えていただきたいとお願い致します。

皆様のご活躍を心からお祈りしております。

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